雨後の街を歩く

テレビをつけるとN響クラシックがやっている。指揮者は白髪ではげている。賑やかな式典調の間の指揮の動きがとてもコミカルで、それを何秒も映し続けるのだからまともに見ていられない。木製弦楽器、金属製管楽器、ティンパニ、それぞれの見せ場の指先の動き、息使い、表情、若い女性バイオリニスト、そういう映像は見ていられる。気持ち良さそうな初老の指揮者の映像はちょっと見ていられない。

 

今日は休みだった。昼過ぎまで職場にいて、それからココイチに行ってカレーを食べた。チキン煮込みカレー。飲食店は飲み放題で冷たい水と上手に炊けたお米があればひとまず上出来だと思う。それから帰宅して、本を読みながら寝落ちした。近頃寝不足だった。

 

18時半に目覚めると、気のせいにも思えるようなかすかな雨音。カーテンを開けると外はまだ明るい。明るさに目がぎゅーっと開く。空は青色と灰色の中間の色合いでいる。雨足は意外にも強めで、雨粒が道にばつばつ跳ねていた。

 

雨がやんだので散歩に出た。

 

ラーメン屋に入り、塩ラーメンを注文した。テレビではサスケがやっていた。隣の席のカップルも見ていた。セカンドステージが簡単になっていて、みんなクリアしてしまっていた。泳ぐコースが出来たらしく、それを知らずに見ていたから、挑戦者が泳ぎ始めたとき失格じゃんと思った。カップルの女が時々なにかを言っては盛り上げていた。ラーメンはチャーシューが3枚のっていて、2枚と1枚で味が異なった。水は冷たくて飲み放題だった。

 

 店を出て、暗い住宅街の方に歩いていった。明るく立ち並ぶ飲み屋を過ぎて、駅北側のバスロータリーを過ぎて、国土交通局愛知国道事務所を過ぎる。途切れ途切れに点在する飲み屋も過ぎてしまって、暗くて静かな雨後の住宅街が始まった。振り返ると池下駅の超高層マンションがそびえてこちらを見下ろしている。豪華絢爛なフロア、住居やエレベーターに灯った無数のランプ、その光の波がこちらの暗闇に遠く及んでいた。


歩いて行くと公園が現れた。鬱蒼と生えた木々の隙間の闇の中に、吊るされたタイヤの遊具やブランコが見える。その光景はどうしても恐ろしいものだった。火遊びの火が風に煽られて服に引火するような感じで、ちょっとした不注意をすると恐怖が全身を満たしかねない、そんなあやうい状況に心がおかれた。同時に、恐怖もおもちゃにしてもてあそんでしまいたいような気にもなった。恐怖は心を支配する強い感情だ。退屈を持て余していた自分は感動が欲しかった。とにかく退屈だった。暗い街には異界に通ずる入り口がそこら中にある。崖下の公園の吊るされた遊具、暗い家の二階の窓の奥、居住者のいないマンションの一室、そして自分の背後。そういった本来ならば忌避すべきものになにやら魅了されて無防備に覗き込んだ。

そのうちに恐怖がやってきた。自分は実際に恐怖が染み込み始めると足早にそこから離れ始めた。細い路地裏で感知式の防犯灯に照らされた。「猛犬に」と掲げられた塀の前を怯えながら歩いた。コインパーキングから怪しい一台の黒い車が出てこちらに向かってきた。針葉樹の葉先に滴いた雨粒は注射器の針とその内容液に見えた。一本の木に沢山の針が繁って塀の上から飛び出してきていた。駅前の超高層マンションがありえない、おかしな所から突然顔を出し、こちらを覗いてきた。。。

 

 

ウォーキング、ランニングの人たちが目の前を通り過ぎていく。日泰寺門前町、広い参拝道に出た。そこでは優しい明かりが夜の暮らしを宿して窓に灯っていた。

 

 

寺に向かった。近頃寺によく行くのは、入信したわけではなく、ただ非日常な空気を吸いに行くのだ。ただ今日はもう閉まっていて入れなかった。だから門前でUターンした。途中にお地蔵さんがいる。お地蔵さんは硬い石でできているが、表情を変化させてこちらに語りかけてきそうに思えた。神聖であった。

神様のことを考えることは、自分のことを考えることだろう。神様は自分の全てを知っている、俺以外の人間たちの全てのことをお見通しにしている。本当にそうだとすると、どうしても自分の生き方が再考される。過ちについて思い出される。正しさについての自信を取り戻す。

 

女が向こうからジョギングでやってくる。幼さからいって学生だろう。この辺は女子学校がいくつか集まっている。健康に躍動する祝福された妙齢の花。見ると俺はみじめにやせ細っていて、女が駆ける風圧にさえ抗えず車道に押し出されてそのまま自動車に轢かれて死んでしまってもなんの不自然もなく思えた。可憐な女がこれまで踏み潰してきた何百の蟻のなかの一匹に過ぎないように思えた。いざすれ違うと非情な突風が吹いたが、歩道の街路樹につかまってようやくこらえた。その後も数分の間その裸子植物の木陰に乱れた息を落ち着ける必要があった。

 

そして歩道を自分の部屋に向かって歩いて戻った。そしてテレビをつけて、何か知らない交響曲を聴きながらこの記述を始めた。